PROFILE

牧場焼肉とだ
戸田 雄也
御社の商品・サービスについて教えてください
うちは「知多牛専門」の焼肉屋です。実家が牧場をやっていて、自分たちで育てた牛を市場に出しています。僕の店では、その知多牛を“優先的に”入れてもらってるんです。
仕入れは、カルビだけとかの部分カットじゃなくて、「バラ」や「モモ」の塊で仕入れて、それを自分で小割して、部位ごとに分けています。だから希少部位もちゃんと出せるし、リーズナブルな価格で提供できるのがうちの強みですね。
テイクアウトもやっていて、BBQ用のカット販売なんかも対応しています。
御社の強みは何ですか?
やっぱり“生産者に近い立場”にあることですね。市場とのパイプもあるし、いい肉を優先的に確保できます。それに僕自身、食肉学校で学んでるんで、牛の筋肉がどう動くかとか、そこから肉質がどうなるかがわかるんです。
だから「赤身が好きな人にはこの部位を」「脂が乗ってるのが好みならこっちを」っていうふうに、しっかり提案ができます。
これまでの経歴を教えてください
東浦町出身で、小さいころからサッカー少年でした。
親父が牧場で働いてて、牛を運ぶ家畜車にも乗ってました。家族は、姉がWebデザイン、妹は保育士で、それぞれ自分の道を進んでます。
大学は東海学園大学。バイト先のガソリンスタンドで出会った社長に声をかけてもらって、1年半くらい働きました。
ただ、その頃、親父が脳梗塞で倒れてしまって車椅子生活になったんですよ。だから牧場の手伝いも始めて「自分が継ぐんだろうな」と思い始めたんです。
その後、肉についてもっと勉強しようと思って「全国食肉学校」に住み込みで1年行きました。
群馬のド田舎で、朝から晩までブタとウシを捌きまくる生活。
構造、筋肉、法律まで学んで、東京の有名店で研修も受けました。オーストラリアにも研修に行って、世界の肉についても知識を深めました。
卒業後は、農協直営の焼肉屋で2年半働いて、店長も経験して、そのあと独立を決め、10月に自分の店をオープン。もうすぐ3年が経ちます。
経営していて一番嬉しかったことは?
いっぱいありますけど…やっぱり「肉がうまいから」じゃなくて「お前の顔見に来たよ」って言ってもらえる時。これが本当に嬉しい。
お客さんとの距離も近いので、ファミリー層のお客様が手紙をくれることもあります。
泣けますよ。
難しかったことはありますか?
10人いたら10通りの好みがあるってことですね。
僕はしょっぱめが好きだけど、甘めが好きな人もいる。
旨味の取り方ひとつとっても、お客さんの感じ方はバラバラ。そこに合わせるのがすごく難しいし、時に「これが普通ですか?」みたいな声をいただくと、やっぱり凹みます。
でも、結局は「自分の基準」しかないなと。
自分が「これはうまい」と思うものを、信じて出し続けるしかない。
これだけは負けない!という自分の強みは?
気配りですね。この店の中では、すべての音と会話を聞いてます(笑)
落とした箸の音とか、お皿を探してる目線とか、ドリンクがなくなったタイミングとか。全部察知して動けるようにしてます。
あとはやっぱり、肉の知識。
牛の筋肉がどう動いてるかによって、肉の硬さや柔らかさが変わってくるっていうのを理解してるので、お客さんに合わせてベストな部位を提供できます(※神経はちょっとわからないですけどね…笑)
3年後のビジョンはありますか?
牧場とお店をひとつの会社にまとめて、法人化したいと思っています。
そして、実家の空き地を活かして、シーズン限定のBBQ施設とか、ドッグランとか、地域の人が集まれるスペースを作りたいですね。
10年後のビジョンは?
“牛を食うならあそこだよね”って言われるようなブランドにしたいです。知多牛を広めたい。
全国展開とかではなくても、知多半島の中で「あの店に行けば本物が食える」っていう立ち位置を作りたいです。
あと、これは中学のときの話なんですけど―当時、狂牛病の影響で肉が戻ってきて、初めて自分の家の肉を食べたんですよ。それがめちゃくちゃ美味しくて。
「この感動を多くの人に知ってほしい」って思ったのが原点。
その想いを忘れずに、届け続けたいです。
最後に、今回のインタビューの感想をお願いします
自分のことを振り返って喋る機会ってあまりないので、初心を思い出しましたね。
「ああ、あの時こういう気持ちだったな」って。これから先、また面白いことを考えたくなる。
そんなワクワクが生まれました。ありがとうございました。
