- 1 PROFILE
- 2 まず御社の商品について、詳しく教えてください
- 3 御社の強みはなんでしょうか
- 4 これまでの経歴を教えてください
- 5 今の仕事をしている理由を教えてください
- 6 素敵すぎますね。今の会社を経営していて1番難しいことはなんでしょうか?
- 7 会社を経営していて1番嬉しかったことはなんですか?
- 8 地元岡田っていうのを、強く意識されてるなと感じるんですが、何かきっかけがあったんですか?
- 9 社長のこれだけは負けないよ、を教えてください。
- 10 前に伺った時、今日から入ったバイトの子に『今日入った新人てお客さんにバレたらダメだよ』って話していたじゃないですか。社員教育とかってどうやってやられているんですか?
- 11 なるほど。それはどこの世界にも当てはまりますね。未来の話なんですけど、3年後のビジョンを教えてください。
- 12 素敵なビジョンですね。ちなみに10年後とかもう少し先はどうですか?
- 13 会社情報
- 14 さいごに
PROFILE
+OKDink,
新美 泰樹
今回は、愛知県知多市でクラフトビールのお店を営む新美社長にインタビューしてきました!
まず御社の商品について、詳しく教えてください
1番柱となっているのがクラフトビールですね。
なるべく地元の地産地消だったりとか、副原料をうまく使った商品作りのクラフトビールと、約2年前にオープンした、SoNのレストランと飲食業、あとコーヒーのカフェですね。
それから妻がやってるデザイン業。
なので会社としては醸造業・ビールと飲食業とデザイン業。
大きく3つに分かれています。
御社の強みはなんでしょうか
強み、自由にやっているところですかね。
あまりなにかにとらわれず自由に。
ビールを作るのもそうですし、このお店もそうですし、サービスの仕方も一応決まりはあるんですけど、半分ちゃんと決まったルールの上で、あとは自由にやっているところは結構強みかもしれないです。
それと自分用のビールで飲む方もいらっしゃるんですけど、どちらかというとギフト用で購入していただくことがすごく多くて。
デザインの方は妻が8割9割やるんですけど、この辺にはないようなデザイン性だったり、考え方、店もそうですけど、そういった部分も結構強みかもしれないですね。
ーパッケージだったりとか、そういうのは全部奥さんが?
そうですね。
当たり前のことなんですけど、注いだ時に、黒のラベルから赤いビールが出てきたりとか、中身とパッケージがかけ離れたりしないようにはしています。
僕が『ビールはこういう味で、こういう色で、こういうスタイルで作ってるよ』というのをちゃんと伝えて、その上でラベルを制作してもらい、ちょっとイメージと違いすぎるから変えてほしいとかはありますね。
これまでの経歴を教えてください
今年で43歳になるんですけど、愛知県の知多市岡田で生まれて、22歳までほんと野球1本で、大学卒業する時に、実家が家業をやっていたので、本来は家業を継がなくちゃいけなかったんです。
けど、 後2年間ぐらいは野球をやっていたいという気持ちもあって、アメリカに渡って、その後ドイツに渡って。その2年間はプロを目指して野球をやっていました。
その後帰国して、実家の家業を継ぐために新潟で1年と中国で1年修行をして、約10年ぐらい実家で働いていて、一応継ぐか継がないかの話にはなってはいたんですけど、34歳の時に家出をして、それから人生が大きく変わりましたね。
そのまま東京に出てきて、レストランで働き始めて、そこでクラフトビールに出会って。クラフトビールを作ろうと決めてから、まず徳島に移住。
その後に鳥取に移住してから帰ってきてビールを立ち上げ、会社を立ち上げて、お店ができたっていうのがこれまでの大まかな経緯ですね。
ークラフトビールに出会って、作ろうってなったのには何かきっかけみたいなのがあったんですか?
それまでは野球をずっと真剣にやってきて、将来は野球でとしか考えてなかったんですよね。
24歳まで追いかけてきたけど、それ以外の将来の選択肢は実家に入るしかないんだなと思った時に、25、6ぐらいで少し就職したんです。でも野球より好きなものって何があるのかなって考えたことがあって。
そこで1回ビールだって思ったことがあるんですよ。浴びるほど飲んでたんで。笑
ただ自分で作るとかは当時全然考えたことはなかったんですけど。
実家で働いていた時は、スーパーや問屋さんがすごい力を持っていた時期で工場長もやっていたので、商品管理だったりもしていて、それでだいぶやられてしまったんです。
スーパーやコンビニへ卸す流れになると、その過程で値段を変えられてしまったり、ボリュームを変えられたりでうちがやりたいことが全然やれていないっていうのもあって。
元々僕の考えとしては、『地元でもっとしっかり売っていこうよ』というのがあったんですけど、親はそれではダメだ、スーパーやコンビニにも卸さないと、作る量が変わってくるからって。そこでちょっと考え方が違うなって思ってしまった。
僕はしっかりこの課題に密着しようと思っていたので、これではだめだから1回離れようと決めて、朝起きたらもういないっていう状態で家出をしました。
1日に何百件も携帯に電話がかかってきていたので携帯も捨てて。その時は親に迷惑をかけてしまったんですけど…。
その後は岡田の町に何があったら面白いかなとか、どうしたら世界から人が来る場所になるのかなっていうことを考えていて、東京でちゃんと何かを拾ってから、地元の岡田に戻ってこようと思いました。
それで元々飲食が大好きだったんで、仕事が嫌いなわけでもないし、アルバイトでいいからどこかで働こうと思って、働いた場所が、たまたまクラフトビールを作っていたんです。
すごい大きなレストランで、めちゃめちゃかっこいいなと。
半分くらいが外国のお客さんだったんですよね。やっぱりビール飲みに来てるし、料理もすごい。
客単価が8000円とか9000円でも、これは普通に安いと言っていて、8000円や9000円が安いっていう世界を見たことがなくって。 400人ぐらいの大型のレストランが毎日満席。予約も取れないし、ランチもディナーもすごい入る。 これはすごいなって。
これをちっちゃい形にしたとしても、岡田でやったら面白いかもしれないなって。
じゃあまずビール作ろうって思った。
ー決断力がすごいですね
いや、もうそれしか無かったんで。
なんか働いてもないし、家も出てるし、ちょっと焦りもあったんですよね。
勝手に家出しちゃったし、なんか持って帰らないとって。
それで1ヶ月ぐらい全然連絡を取らなかったので。携帯持ってなかったんで、妹からパソコンの方にメールが来たりはしていましたけど。そんな状態で、ビールを作り始めました。
今の仕事をしている理由を教えてください
そうですね。
よく話すのは、好きなものを仕事にするということですかね。
パン屋もそうなんですけど、結局のところ自分たちが何があったら楽しいかとかで。
雇われてる人間ではないので、そこは自由な部分もあるのですけど。
なので理由としては なんか好きだからって感じですね。
なんかビール好きだし、人と接するのも好きだし、サービス業も好きだから。というところから始まってます。
素敵すぎますね。今の会社を経営していて1番難しいことはなんでしょうか?
人ですね。
うちでは経営理念と経営不理念というのもつけています。
経営理念は『全ては人で始まり人で終わる』なんですけど、経営不理念が『普通と無難』
経営不理念は僕が嫌いな言葉なんですけど、この両方がアルバイトの子のたちまで浸透するようにやっています。
とにかく美味しい料理だったり、美味しいビールだったり、美味しいコーヒーだったりを出すのは当たり前で、こんなおしゃれなレストランとか言われるんですけど、こんなんなものは別に大したことなくて、 作ろうと思ったらどこへ行ってもいくらでも作れる。
けどやっぱりサービスの良さだったりとか、『あなたに会いたいです』とか『あなたに会いに行きます』みたいに誰しもがなって欲しい。
けどそういう反面、人で転ぶこともやっぱり多いので、1番難しいのは人ですね。
もう1つは、ちゃんと伝えるということです。
うちでは伝言ゲームって言ってるんですけど、小学校の時の遠足のバスで1番前の人が人参って言っていたのに最後の答えがじゃがいもになっていたみたいな感じで、小学生でもできる簡単な伝言ができないと、最終的にちゃんとしたサービスには繋がらないよねというのでそこは課題にしています。
会社を経営していて1番嬉しかったことはなんですか?
スタッフが増えたことですかね。
家を出てからビールを自分でやり始めた時は、大きくするつもりは全くなかったんです。
1人で楽しいことやって。 で、妻は妻でデザインの仕事を東京でやってて、稼ぎもそれなりで、もういいかなと当時は思っていました。
僕はビールで1人分ぐらいの給料をちゃんと稼いでやっていければ良いなと思っていたんですけど。
今の物件が出てきたりとか、ビールもそれなりにやっていくうちに、働かせてほしいっていう人が来たりとか。
地元の人たちが、空き家を紹介してくれて、なんかできない?って言ってくれて。
なんか自然の流れで今の店をやることになって、スタッフ募集しなくちゃいけなかったんですけど、募集したらちゃんと来てくれて、そこから少しずつ人が増えていって。
それが1番嬉しいです。
地元岡田っていうのを、強く意識されてるなと感じるんですが、何かきっかけがあったんですか?
海外に行って変わったんですよね。それまではザ・高校野球男児みたいな感じだったので。
当時の彼女とデートしても手は繋がないし、3歩ぐらい後ろを歩いていたり、家族と一緒にご飯行くのも恥ずかしいとか、そういう感じだったんですけど。
野球でアメリカやドイツに行った時に、地元への熱量とか、家族への愛とか、レディファーストだったりとか、そういうのを目の当たりにして。
もうちょっと地元に力を入れたりとか、人や家族を大切にしないといけないなと思ったのがきっかけですね。
それからは今まで恥ずかしがっていたことが、アメリカやドイツでは当たり前にできて、帰ってきてからもレディファーストしたり、ドア開けてみたりとかすると、すごくモテるんですよね。笑
それを自然にできることが、結果サービスに繋がってきたりとかもしていたので、そこを大事にして今もやっています。
アメリカのチームにいた時に、あだ名でニックって呼ばれていて、『ニック、お前の住んでる場所はどのくらいの人口がいるんだ?』とか『何が有名なんだ?』と聞かれた時に、全く答えられなかったんですよね。
それで自分はなんにも知らないんだなと思って。
アメリカの人たちってすごい地元のことを押してくるし、なんかかっこいいなって。
そこから、まず地元でベースをしっかり堅めてから、その後に何かやりたいなと思った。
社長のこれだけは負けないよ、を教えてください。
これも人ですね。
この店が今年の6月で2年になるんですけど、始めてからずっと働いてくれているスタッフもいるし、新しく入ったスタッフもいるんですけど、みんなすごいなと思ってて。
よそには絶対負けないだろうなってぐらいのサービスをしてくれるし、それぐらいやる気があるって言うんですかね。
色々考えて動いてくれているし、そこは負けないんじゃないかな。
多分愛知県で1番いいサービスをすると思ってるぐらいです、僕は。
だからお客様もきてくださるんだと思っています。
前に伺った時、今日から入ったバイトの子に『今日入った新人てお客さんにバレたらダメだよ』って話していたじゃないですか。社員教育とかってどうやってやられているんですか?
そういうことについて僕はそんなに勉強したわけじゃないんです。
東京でたまたま働いたそのレストランが、そういうトレーニングをやってくれたりして。
そのレストランと僕らの考え方が結構近くて、カジュアルなレストランみたいな感じなので、お客様とスタッフは対等でとか、それをベースにしてます。
1番考えなさいよっと言っているのは、自分がこれやられたら気持ち悪いなとか、これやられたらやっぱ腹が立つよねっていうのは、誰がやられても腹が立つからねということです。
これは本来教えなくてもできることだと思って、そこを教えない飲食店さんは多分多いんじゃないかなと。
すごくシンプルで、これをやってあげたら喜ぶよねとか、なにかご指摘をいただいたら、逆に倍返しにして応えてあげたらもっとファンになってくれるよねとかって教えています。
例えば、先日来て頂いたお客様でバースデーを忘れてしまっていて、ケーキより先にドリンクをお出ししてしまったんですけど、ケーキをお出しした後にお店からドリンクをサービスすることで、ミスを取り返したり。
でも基本は、おっきい声で笑顔で背筋よく立ってなさい、堂々としてなさいみたいな感じです。
あと、わからないことをわからないですとは絶対言わないでと必ず言っています。
『私はちょっとわからないので調べてきます』とか、『わかる人に聞いてきます』とか、
もし誰もわかんなかったら、『次回までに調べておくので、またいらしてください』って言って送り返すとか。
すごくシンプルだけど、ちょっと考えればわかるようなことだったりとか、当たり前のことをやれば、まずは大丈夫。
それ以上をやってほしい気持ちはありますけど、それは考えて多分徐々にできてくるので。
でも最初にそのベースがないと、それを超えてはできないかなと。
なるほど。それはどこの世界にも当てはまりますね。
未来の話なんですけど、3年後のビジョンを教えてください。
そうですね。なんか好きなことやってるっていうのと関わってくるんですけど、 もう岡田から出なくても全部成り立つよねという村にしたいですね。
僕は村化するって言って、昔の良かった雰囲気を新しい形として、新しい形で子供たちに伝えていくとか、街を作っていくような考え方をしているので、今なくなってしまった精肉店さんだったり、お豆腐屋さん、あとゲームセンターだったり、銭湯などそういう昔ながらの雰囲気を新しい形で、少しずつ岡田の中に増やしていって、もう岡田から出なくていいよねみたいな。
住んでる人たちがそういう風になってくれたらいいなと思ってます。
今で言うと愛西市じゃないですけど、僕の同級生が住んでいて、もう他では住めないとか。
税金、医療費が安いとか、バスの本数が増えたり、極論で言ったら電車が通り出したりとか、住んでる人たちが便利になっていけたら、多分僕らがやっていることの意味がやっと出てくるのかなとは思います。
住んでる人たちの生活が、お金ではない所で豊かになるというか。
素敵なビジョンですね。ちなみに10年後とかもう少し先はどうですか?
10年後は岡田にはもういないですね。
やっぱり引き際を大事にしていて。
僕、実際なんでもできるんですよ。
ビールもできちゃったし、サービスも大好きだし、料理もできるし、なんかちょっとやればぱっとできてしまう。
色々トレーニングだったり研修で教えることもあるんですけど、どっかで任せないとしんどくなっていくし、僕がフリーにならない限りは次のことに進めないっていうのがあるので。
この前研修をやった時に、今の組織票があって、アルバイトの子まで全部名前が入っているんですけど、責任者の名前がほぼ僕なんです。
なので2、3年で僕の名前が1番上に残るだけで、あとは全部消えてそこにはみんなの名前が入るように努力してほしいって話をしています。
3年後にはちょっと色々な話も来てるので、おそらく店舗を出したりとか、岡田でも2、3店目だしたりとか、リアルに10年後にはハワイに店舗があったりとか、オーストラリアに店舗があったりとかそういうことは考えてます。仕事として海外に行きたいっていうのがあるので。
ちょっと『3ヶ月向こうの店行ってくるね。』で3ヶ月は向こうにいるみたいな。それを考えてます。
で、急に社員を向こうの店舗の店長にしたりとか。笑
色々やりたいなとは思っています。海外がやっぱり好きなので。
うちの妻もウェディングの仕事をやっていて、コロナになる前は撮影とかでほとんど海外だったんですよ。
でも今は全然海外の仕事がなくなっちゃったし。
で、僕もビールをやり始めたので全然海外行けなくなってしまって。
やっぱりいいものというか、刺激が欲しい。
さっきの強みじゃないですけど、妻は3分の2ぐらいは東京なんです。
だから感覚が全然違うんです。
僕らとイベントやろうとした時とか、新しいメニューを作るとか、そういう時にはもう全然違う感覚で話をしてくるので、結構強いのかもしれないですね。
会社情報
+OKDink,
さいごに
今回は、+OKDink, 新美さんにインタビュー色々お聞きしました。
本当に地元愛が強く、周りの人達を大切にされていることがすごく伝わってきて素敵な社長さんだと思いました。
新美さん、ご協力本当にありがとうございました!