革新を続ける匠の技、豊富なアイデアで提案型製造業を目指す【株式会社マツムラ】松村 和也社長

PROFILE

株式会社マツムラ

松村 和也

御社の事業内容を教えてください

半導体設備部品、超高真空部品、耐圧部品、熱電対シース等の溶接、精密加工をしており、特に溶接外観、ステンレスパイプ等の裏波溶接、溶接ビードの美しさには絶対の自信があります。
溶接だけでなく、精密機械加工の請負、コストダウンにつながる溶接部の設計・加工提案も積極的に行っています。
総合人材サービス、バッテリーの延命装置の製造・販売も手掛けています。

2021年には、一般社団法人日本ものづくり支援機構を立ち上げ、代表理事として、モノづくり業界の皆様の受発注の活性化や販路拡大を目指し、企業間のマッチング機会、企業間の知識とノウハウの結合による技術革新、新たなビジネスの創出を支援しています。

学生時代のお話を聞かせてください

学生時代は、大学までアメリカンフットボールをやっていました。
勉強はそれほど得意ではなかったのですが、中学の時に出会ったある先生のおかげで、英語だけはめちゃくちゃ得意になりました。

高校進学の際、先生から自分の得意な英語を活かせる高校があると教えてもらいました。
そこには国際科という科があって、海外研修で1ヶ月海外に行けるプログラムがあるから楽しいのではないかと言われ、二つ返事で行きますと。
中学の時は水泳部だったので、高校でも水泳部で良いかと思っていましたが、いざ行ってみると、高校のグラウンドに高校生とは思えないような大きな体の先輩達がアメフトをやっていたのに衝撃を受け、それがきっかけでアメフトを始めました。
バリバリの体育会系で、雨降ろうが、雷になろうが、どれだけ暑かろうが、朝から晩までひたすら筋トレの日々でした。

大変な日々でしたが 楽しく活動していて、先輩たちのお陰もあって、アメフト高校日本一という貴重な経験もさせてもらいました。
大学進学時には、大学のアメフト部からもスカウトがあり、高校の先輩たちとのご縁もあって大学でもアメフトを続けました。

この仕事に就いたきっかけを教えてください

父が商売をしていたので、学生時代からなんとなくこの仕事をするだろうなという漠然とした思いはありました。
父は、アメフトの部員のお世話係をしており、部員全員の分のおにぎりや水など必要なものをたくさんのお店を回って全部準備してくれていました。
大学進学後も自ら後援会を企画し、本当にいろいろな場面で助けてもらっていて、アメフトを通じて両親にはお世話になったという意識はずっとありました。

就職については、いろんな選択肢の中で自らの意思で今のこの家業を選択しました。
父に会社に入れと言われたことは一度もありませんでしたが、自然と父の会社に入社しました。

入社当時のお話を聞かせてください

入社してからは、経営でははく、まずは職人としてスタートしました。
ただやはり親の七光りというか、先輩社員達からは当然そういう目で見られてしまって、当時は21歳でしたから、ちょっとムカッときて(笑)

彼らを納得させて、どうしたら追いつき追い越せるかを自分なりに考えたんです。
先輩たちも一生懸命に仕事していましたが、自分はそれ以上にやってやろうと思って、翌日から朝5時に起きて、朝6時から夜11時まで仕事というのを17年続けました。
当然、飲みに行く時間もなく、外部との接触なんかほぼありませんでした。
暗いときに会社に入って、暗いときに出てくるみたいなのをずっと続けたおかげで、技術はもちろん上がって28歳の頃には、技術面では一番になっていました。

会社を引き継いだ経緯を教えてください

私が28歳の時、父に会社には居てほしいけど、現場は自分に任せてほしいと伝えました。
父は当時57歳でまだまだ現役で出来る状態でしたので、普通だったら怒る所だと思いますが、一言「分かった」と言い、次の日には本当に会社来ませんでした。
父なりに考えた結果だとは思います。

でも、いざ自分が2018年に会社を引き継いでみるとそれはもう大変でした。
父は現場以外にもこれだけの仕事をこなしてきたのかと驚きましたね。
引き継いだ時はまったく仕事が終わらず、深夜まで仕事をしていました。
現場は自分以外全員外国人だったので、電話が鳴っても誰も出れない状況で、業務量は多く、どうやったら効率的に仕事をこなしていけるのかを常に考え、少しずつ業務の効率化を図り、徐々に仕事が回るようになってきました。

本当にとても大変でしたが、もうそれはトレーニング同じで、筋トレしまくって自分のレベルを上げるしかないと、とにかく必死で走り続けました。

会社が成長する要因は何だと思いますか

当初社員数は10名ほどでしたが、事業拡大に伴い、現在は100名を超え、派遣スタッフを含めると350名ほどになります。
弊社は、溶接技術を強みとしていて、クライアントのニーズに100%で応える。自分の都合を0で考えたらそれが出来るんです。
クライアントが儲からないと、そもそもこちらも儲からないので、依頼された仕事のみをするのではなく、トータルでクライアントに最大の利益が出る方法を提案しています。
お互いに価格競争に巻き込まれないよう、独自の技術を活かした製品の提供を重視し、全ての工程を一貫して行うことで、コスト削減と効率化を図っています。
狙って大きくなったわけではなく、顧客が何を望むのか、顧客の要望に応じた柔軟な対応が、自然と事業拡大の鍵となっていると思います。

仕事をしていて楽しいと思うことは何ですか

色々とありますけど、ボールをこう投げたらこう返ってくるとか戦略を練るのが楽しい。
予測はしますが、思った通りにボールが返ってこなかった時に考えるのはもっと楽しいですね。
道は平坦でなく、アップダウンがある方が面白い。特にダウンの方が面白い。

その時に追い詰められて、必死で考えて…大変ですけど、苦しくはないですね。
この大変な時こそが、とてもやりがいを感じる瞬間というか、それが仕事をしていて楽しい瞬間ですね。そして自分が狙っている結果になったら、より楽しくより嬉しいです。

経営者としてのこだわりはありますか

即断即決です。
こうなるだろうなというイメージが出来たらすぐやる。
何か行動するとき、大体こうなるだろうなと予想がつく。そして、大体は考えた通りになる。でも考えていない方にはならないと思います。

結局、考えてないとその方向にはいかないですし、自分がイメージした方向にしか進まないと考えています。なので、目標を明確にすることが重要だと思いますし、常に何かを考えています。
経営者はみんなそうなんですかね?
自分はあまりオンオフがないタイプで、この人が何を考えているかとか、何を求めているかをいつも考えています。

ある本によると、ギブ・アンド・テイクの関係には、「ギバー」「テイカー」「マッチャー」が存在するとのいうのを読みました。
成功から最も遠いのか「ギバー」、同時にもっとも成功しているのが「ギバー」とのこと。
本を読んだからやっているわけではなく、たまたま自分もそれをやっているなと思いました。
ギブしようと思ったら、相手のことを知らないと出来ないですから、自分は「ギバー」で在り続けたいと思っています。

従業員への想いを教えてください

単なる作業ではなく、各自が自分のポジションで個性を出し、リーダシップを持ち、自分は何をしたら良いのかを考え、 楽しんで仕事をしてほしいですね。どんどんチャレンジして欲しい。
失敗しても、そんな大怪我しませんし、次同じ失敗しなければ良いですしね、昔から失敗しても別に怒らないです。次気を付けてと。
失敗したら、この失敗を防ぐことによって、違う失敗をするのも経験なので、逆にどんどんやって失敗するほうが新たな学びとなって良いと思います。

今後のビジョンを教えてください

弊社は、組織図が全くありません。社長以下、全員フラットみたいな感じです。
製造業なので、誰がやっても同じ仕事ができる環境を作っています。
数年後には、評価制度を導入し、給料の見える化を進め、従業員のモチベーションをさらに高めたい。そのための組織作りも考えています。

新しいことが好きなので、今やっていることにどんどんプラスして色々と展開出来たら面白いなと。そのために共に成長出来る仲間がもっと増えたら良いなと思っています。

会社情報

株式会社マツムラ

おわりに

今回は、株式会社マツムラの松村社長にお話を伺いました。
インタビュー中も、相手への気遣いや気配り、レスポンスの速さを感じました。
エネルギーに溢れ、アイデアマンである松村社長。経営者でありながら、トップセールスマンとお話しているようで、インタビューを通じてたくさんの気付きがありました。
松村社長、ご協力いただき、ありがとうございました。

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