我々は地域で愛されるアメニティーライフを創造し提供する企業です【株式会社ナカノ】中野 隆志社長

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株式会社ナカノ

中野隆志

株式会社ナカノ

中野 隆志

今回は株式会社ナカノの中野社長に突撃インタビューしてきました。

御社の商品とサービスについてお伺いします。

当社のオリジナル商品ダスポンという商品があります。
自社製のゴミステーションとしてダスポンという商品を企画、製造、販売をしています。

最近ここ数年はダスポンの販売に注力をしています。
全国展開に販売網を広げているところです。

そもそもは、昭和42年から先代の社長が創業した会社で金属製品の加工業を当時から今日に至るまで、地元の大手の企業の仕事をやらせてもらっていて、創業当時は主に24時間稼働しているラインの機械が止まったり故障をしたり溶接が割れたりとかした時に補修をする為に24時間駆けつけて補修作業を主でやっていたと聞いてます。
それを数年続けていたところで、信頼してもらえ図面をもらって工場で物を作っていく仕事に切り替わってきました。
それから工場を少しづつ大きく増設して今日に至ってます。
ものづくりとして無いものを相談されてそれを形にしていくお手伝いをさせてもらっています。

-先代から会社を引き継がれることは決めていらっしゃったのでしょうか?

幼稚園児の時の夢に鉄工所の人になりたいと書いていたみたいなんです。
小さい頃からそういう気持ちはあったのだと思います。

当時、工場(こうじょう)のことを工場(こうば)と言っていました。
小さい頃から工場(こうば)で遊んでいました。
ここで将来みんなと一緒に働くんだろうなとイメージはずっとあったと思います。

御社の強みを聞かせて下さい。商品と商品以外でもお伺いできますでしょうか。

当社の強みはどこにもないゴミステーション作っているという自負しています。
特に機能性においては使う人のイメージを徹底的に研究をしました。
どんな風に使えば便利になるか、使っている人が何に困ってどうすれば煩わしさが無く使えるようになるとか、徹底的に商品を企画しています。

出てきたアイデアを形にしていくものづくりの技術が当社の強みです。
たかがゴミステーションですが他社には無いゴミステーションです。
当社のゴミステーションが欲しいとご要望いただく事が増えてきています。
これは当社の強みであり他社では作れないゴミステーションだからだと自負しております。。

ゴミステーションのダスポンはスマートキー付きです。
インテリジェントダスポンと言いシリーズになっています。
スマートキー付きのゴミステーションはどこにもないです。
入居者の方が持っているカードをかざすと、入居者の方だけが開けることが出来るゴミステーションなんです。
閉めるときも自動ロックがされ不法投棄が防止や入居者の方のゴミのセキュリティも守ることが出来、ドアも軽い。
サイズは小型タイプから大型タイプがあります。
関東の大手不動産が開発するマンションの導入する話も具体化しています。

また、物流系の装置の製作から設計までをしています。
物流倉庫で使われる物流関連装置や浄水設備の部品そして薬品の装置部品の製造も力を入れています。
あとはリクエストがあったもの無いものこういう機械を作りたいとかこういう物があったらいいなとかを聞いて設計をして生産をしたりするのが事業内容なんですけど、例えば浄水設備はステンレスなんですけどコンベアなんです。
下水道の下水路に水をためると汚れた物が下に溜まるじゃないですかそれをかき寄せて上げていく装置なんです。
24時間何十年も止まらずにずーっと稼働しています。
何十年も止まらずにずーっと底をかき寄せて見えないくらい稼働しています。
他には玄関ドアの骨材を作って納入させてもらったり。
また、薬を包装を機械の中で全部作るすごい機械があるんですがその機械のカバーと部品を当社で作っています。
1995年ぐらいから長くやらせてもらってます。

御社の唯一無二のゴミステーションである『ダスポン』の誕生までをお話しをお聞かせいただけますか

当社のゴミステーションの【ダスポン】はスライドダスポンシリーズであり開口扉がスライド式になっています。
2015年に私がゴミ出しに行った時に町内のご高齢の方々がゴミステーションの扉を重たそうに開けていらっしゃったんですね。
この時に“あれっ”っと思って知らないうちに近所の皆さんが高齢化していてゴミ箱の扉の重そうにしている姿を目にするようになって、そこでやっぱり当社はゴミステーションを作っていましたので、これからの時代にマッチする必要とされるゴミステーションを一度しっかり真剣に考えて取り組まなければいけないと思ったのが2015年です。

そこでゴミ出しの現状を知る為に友人の会社でゴミの回収業務を一週間勤務させてもらいました。
600箇所以上回らせてもらってゴミステーション集積場にはがいろんな形状や素材がありそれをデータ化して使い易すさや使いにくい形状、重く開閉に力が必要であったり危険なものいろいろ調べていき、更に社内でデータ化してそれをもとに何度もミーティングをしました。
理想の形の条件として先ずは簡単に安全に開く仕様や誰でも出し入れし易い事を優先しました。
回収業者に勤務させていただいた時に知ったんですが業務したときに腰が痛くなったので、働いている人のほとんどの人が腰痛をかかえていることがわかり回収業者さんの身体に負担のない形状を取り入れたいと思い考え付いたのがスライド式扉でした。
スライドすると足元から上部までおおきく開口するので身体をゴミステーションの中に入れても出し入れできます。
中腰にならなくても物の出し入れが出来きゴミステーションの中に人が入った状態で清掃も簡単に出来るので、いつまでも綺麗で清潔に保つことが出来きます。
2015年にこの企画をして試作を作りはじめて結果6台試作品を作っても理想の状態が実現せず百数十か所以上の修正をかけて7台目でようやく完成しました。
完成までに3年弱かかりました。

発想から調査、企画、試作、完成まですごく時間がかかりましたがGOOD DESIGN賞の応募のタイミングだったのでエントリーしました。
そしたら2018年にGOOD DESIGN賞を受賞できたという褒美をいただけました。
完成までとっても苦労しましたので苦労が報われとても嬉しかったです。

【株式会社ナカノ】中野隆志社長

社長さんのこれまでの経歴をお願いします。

会社に入社前は名古屋の専門学校に入学しました。
高校は文系だったので工業系の全然頭になかったのでそういう専門学校に行って工業系の数式とかを勉強したいなと思い工業専門学校に入学しました。
いろいろと経験を積んでから戻りたいなと考えていたので先代には30歳ぐらいまでは帰ってくる気はないと言っていて先代も了解してくれてました。

1990年に当社滑川工場を増設しました。
先代が早く帰って来て欲しい言うようになりと名古屋までリクルートしに3回来たんです。
3回目はさすがに帰らなきゃいけないのかなと思いそれで富山に戻ることになりました。
その時は1994年24歳の時でした。

小中高とバイトで溶接はしていたので全く知らなに仕事ではなかったのでちょっと戻るのは早かったのですが友達を何人か呼んで一緒に入社しました。
そこから現場で3、4年途中2年くらい経ってから営業を兼ねて現場に入ったり先代に見積もりの仕方色んな事を教えてもらいながらやってました。

会社経営で難しいと思われたことを話しいただけますか。

私は結構早い時期に社長になりました。
2004年に社長に就任し、先代が会長になって最初の3年から5年ぐらいは対外的な付き合いは会長がやるという事で集中して社長業を勉強しなさいという感じで何かあれば直ぐに会長に相談できる環境でした。
相談する相手が居たんで結構そういう意味では気楽だったのかもしれません。
喧嘩も沢山してましたけどそれでも相談できたという事は有難たい事でした。

しかし、先代の会長が2013年に亡くなりました。
自分で全部やらなければならないという事で相談する相手が居ないし会社の方向性や色んな事を全部一人で考えなければならなくなりました。
誰にも愚痴を言ったり喧嘩したりする会長が居なくなった事で真剣に考えるようになりました。
会社をやるという事は本当に大変なんだなとその時にしみじみと理解できました。
その時に友人の社長からの紹介でコンサルティング会社をすすめられ中期計画の作り方や会社のあるべき姿や理想を客観的に勉強させてもらいました。
その間に社長として覚悟を持って取り組まなければならないという事をようやく理解できたのですが、どう進めていくのかがまだわからないのでコンサルティングを入れながら最初はやり始めました。

でも、ずーっと使うわけにはいかないでしょ。
なので、自分の人脈の中で20代で会社に入って当時からお世話になっている地元の大手企業のお客さんで一緒にゴルフやコンペに参加したりしてご指導をいただいた先輩方が居るのでそういう方に声をかけたり会社組織作っていく為の相談相手になって欲しいとお願いをして2人の方に会社に入っていただきました。

それからは会社の方向性を実行するのは組織だという事を教えてもらい目的を遂行する組織づくりが出来るようになってきました。
それが一番影響が大きいですね。
いまも一緒に仕事をやらせていただいています。
相談できる相手が自分の周りにいたという事ですね。
素晴らしい人脈があったことは先代のおかげです。

このお仕事をされて一番うれしかったことをお話ししてください。

お客さんに喜んで貰えるのが一番うれしいです。
お客さんの思いや相談された事が形にして渡した時にできてめちゃくちゃ良くなっているねとか、ダスポンはめちゃくちゃかっこいいねとか使い易いとかまたこれ必要になたら絶対に買うよとかそういう言葉を聞いた時は嬉しいですね。
これは自社商品を使ってくださっている全てお客さんの評価が帰ってくるという事は嬉しいですね。
色のバリエーションも豊富です。
どんな外観にでも会うように、いろんな地域に調和出来るようにバリエーションを増やしたかったんです。

社長さんのこれだけは負けないという事をお話ししてください。

決断は早いです。
決めたことはブレずにやり続けるという事です。
2013年に先代が亡くなって2015年2016年ぐらいからコンサルティングと良くなる為の改革と方向性を決めたりその後は地元の大手企業の人に来てもらったりして方針をどんどん決めていくんですけどその時の会社の方針を決めた事をブレずに実行してきたので、会社を良くしていく為の方針や変化を好まない方は辞めていきました。
転機をきっかけにダスポンが誕生したりその後の展開とかスピーディーに動いているのは、自分が決めた方針をぶれずに持つようになったという事が大きく影響してますね。

3年後のビジョンをお話ししてください。

ダスポンのシェアを広げ会社の売上をどんどん伸ばしていきたい。
現在、関東の納入が実績が増えてきています。
いづれは国内外に通じるブランドに育てたい。
イタリアに視察に行ってきました。
海外の市場とか色んな物を見たくて行ったんですけど出来れば海外とかに展開も面白いのかなと思っていますしダスポンと同じく自社ブランドの商品の開発のアイテムがいろいろとあるのでそういう物も3年以内には出していきたいと考えています。

さらに10年後はどうでしょか。

10年後は完全にメーカーとしてダスポンというブランドの商品はこの会社といっていただけるような会社に成長しだれもが知っているようなメーカーにしていくことです。

今回このインタビューを受けていかがでしたか。

今回、話すことが会社の目標と自分の考えを合わせて進めていく上で良い機会になりました。

会社情報

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おわりに

今回は株式会社ナカノの中野隆志社長にお話を聞かせていただきました。

中野社長の日常生活の気付きから始まり、ゴミ回収の仕事を経験され、世代問わず安全で使い易いだけでなく、環境に馴染むスタイリッシュなデザインのゴミステーションダスポンの完成と同時に、組織づくりに力を注がれ、今後は日本だけでなく海外展開へ広く世界を見据えていらっしゃる中野社長のまっすぐでぶれない信念と情熱に感動いたしました。
エネルギッシュでとても素敵な社長さんです。
中野社長さん、ご協力いただきましてありがとうございました。

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