現状維持は衰退!産業廃棄物の分野にとどまらず、やってみたいことはなんでもやる【加山興業株式会社】代表取締役 加山 順一郎

PROFILE

【加山興業株式会社】加山 順一郎社長

加山興業株式会社
代表取締役 加山 順一郎

本日は、愛知県豊川市で産業廃棄物処理業を営んでいる加山興業株式会社の加山順一郎社長にインタビューしてきました!

社長は三代目だとお聞きしましたが、これまでの会社の歴史を教えていただけますか?

はい。一番最初は、1951年に、僕の祖父が「加山組」という会社を立ち上げたのが最初なんですけど、祖父はもともとは県警のおまわりさんだったんですよ。

産業廃棄物処理を始めたきっかけについては、二つ、聞いていることがあります。
一つは、当時はちょうど戦後復興期で「工場から出る黒い煙こそが経済の発展の象徴だ!」と言われていた時代だったんですけど、あれって完全に公害じゃないですか(苦笑)
祖父は、当時から「これの何が経済発展だ、なんとかしないといけない」と、違和感と危機感を抱いて、この業界に飛び込んだと聞いています。

それともう一つ、これは嘘か本当かわからない裏話のような話なんですが(笑)
祖父がこの業界に入った当時は、廃棄物処理の法律がまだなく、いわば無法地帯だったそうで…。集めたごみの中から換金性のあるものを換金し、ほかは埋める、ということをしていた時代だったんです。
そうすると、その換金性のあるものを横領してしまう人がいたわけですね。そういう人を捕まえるのが、おまわりさんだった祖父の仕事でした。
そんな中で「おまわりさんにつかまらなければこんな面白い仕事はないよ」と言われて、この世界に飛び込んだ、という話も聞いています。

ーなるほど、おもしろいですね(笑)

でしょう(笑)
そんな祖父は実は52歳で倒れてしまい、当時、大学を卒業したばかりの父が、卒業後すぐ22歳で継がざるを得なくなったんです。その後、父は40年間社長を務めました。14年前に僕は社長に就任し、今に至る、という流れです。
今では、営業、経営企画、現場の作業員など含め、従業員約150名にまでなりました。

ーすごい、歴史を感じますね。お父様は40年間も社長を…ご立派ですね。

そうですね。僕が生まれた時にはすでに父は社長でしたから。

それに、創業当初は新幹線を作っている「日本車両」専属の産業廃棄物処理業者として、日本車両の敷地内で業務を行っていたんですが、父が継いだ時期くらいに、ちょうど廃棄物処理法が制定されて「リサイクルが大切だ」という風潮に変わってきたのもあり、父の代にいろいろと大きな変化があって、今は3000社くらいとお取引させていただいています。

ー3000社!すごい数ですね。無知で凝縮なのですが、私たちが普段出すような家庭ごみの処理もされるのですか?

いいえ。当社が扱うゴミの9割以上が産業廃棄物です。
家庭ごみの処理責任者は「市町村」ですが、産業廃棄物の処理責任者は「捨てる側」なので、どこの業者に頼むかは、捨てる側が選ぶんですね。

ーそういうことですか!お取引先は、三河地方が中心ですか?

そんなことはないですよ。自社が回収に出向く場合は、半径100キロ圏内なので、愛知・岐阜・三重・静岡くらいまでですが、お客様の方から持ち込んでくれる取引先さんはもっと遠方にもあります。東京の会社とも、お取引があります。
先ほどお伝えしたように、産業廃棄物の処理責任は捨てる側にあるので、業者は自分で選ぶわけですが、とにかくコスト重視の会社もあれば「正しく処理をしてくれる業者を選びたい」という会社さんも、たくさんあるんです。

ーなるほど。お取引先の業種はどんなところが多いですか?

建設業、製造業、病院の医療廃棄物、この三つが、それぞれ3分の1ずつくらいのイメージですね。コロナの時も、建設業・製造業からの廃棄物の量は落ち込みましたが、医療廃棄物の数が逆に増えたので、大きな打撃を受けることもなかったです。

今ではラオスにも法人があると聞いています。ラオスに行こうと考えたきっかけは何かあったのですか?

はい、ラオスにもあります。2021年に、ラオカヤマを設立しました。

日本の廃棄物処理の技術を海外にも広めて貢献したいという想いはずっとあったんですが、2015年ごろ、付き合いのあったコンサルタントの人が別事業でラオスに出向いた時に、ラオスに廃棄物処理の分野で進出できる可能性を見出してくれてたのがきっかけです。
僕もそのあとすぐに事前調査をしに現地に行き「これは可能性がある」と感じて。JICAの案件化調査に申請を出したら通ったので、まずは1年かけて調査をしました。

1年も調査を続けていたら、調査だけで終わりたくないじゃないですか(笑)
そこから、小さい設備を現地に運び込んで、今度は実証事業という形で実質1年間稼働させたんです。
ただ、ODAなので、その期間が終わると、最後はその設備を寄贈して終わりになってしまうんですね。これまで日本の経費で動かしていた設備を、そこからはラオスの経費で動かさないといけないとなると、結局、コストがかかるから動かさなくなっちゃうわけです。

これでは何の意味もなくなってしまうということで、本格的にビジネス化する方向で働きかけ、ラオス事務所を設立する流れになりました。

ーはじめて海外に進出するって、すごく勇気と覚悟がいることですよね。

そうですね。実際に設立までこぎつけられたのは、人とのつながりがあったからです。
まず一つは、ちょうどコロナに入る数年前に、豊橋技術科学大学に通っていたのラオス人の男の子が、加山興業に入社してくれたんです。コロナの時期に、その子に「ラオスに帰って、ラオカヤマを作る準備をしてほしい」ということを頼むことができた、というのは大きかったですね。

そのほか、調査案件、実証事業とあしかけ7~8年取り組んでいた中でいろんな人とつながることもでき、ラオカヤマ設立が叶いました。

今は、現地の協力企業のうちの一社と手を結び「ラオスで廃棄物処理の現状を一緒にもっとよくしていこう」という約束をし、やっと、これまで投資してきた分を少しずつ回収し始めるフェーズになってきたところです。

ー素晴らしいです。やはり人とのつながりが一番ですよね。ラオスに行ったことがないんですけど、どんな国ですか?

もう、なーんにもないところです(笑)
タイのバンコクが東京としたら、ラオスの首都は豊橋みたいなもんですね(笑)
ラオスの国土面積ってだいたい本州と一緒くらいなんですけど、人口が700万人くらいしかいないんです。でも、みんな素直でとても人柄がよい国ですね。

ーラオス事業以外にも、加山社長が就任されてから事業の多角化がすごく進んでいますよね。

はい。僕ね、現状維持は衰退だと思っているんですよ。
僕が新しく始めたことと言えば、ミツバチ事業もそうですね。プラントに隣接するKAYAMAファーム内で、ミツバチを飼育して、採取したはちみつを販売しています。

ーミツバチですか?

そう。ミツバチって、環境指標生物で、空気がきれいでないと逃げてしまうんですよ。
なので、加山興業が周辺環境へ負荷をかけていないことの証明にもなるし、周辺の花や農作物からの密を採取できるので、そのはちみつの成分分析を実施することで、周辺環境に含まれる有害物質を測定して、害がないことを証明することもできるというわけです。

ーなるほど!

地元のお菓子屋さんとコラボして、加山のはちみつを使ったバウムクーヘンを販売したり、はちみつ採集会を開催して地元住民の方にミツバチの生態系について知ってもらったり、地域交流や食育にもつながっていますね。
そのほか、小学校での環境授業をやったり、防災グッズを知ってもらったり販売する事業もやっていますし、福祉事業もやっています。

さらに、来年の11月豊川駅の東口にできるビルに事務所が入ることが決まっているんですが、その1Fに入るカフェもやらせてもらうことになりました。儲からないと思うけど(笑)
面白そうだし、やってみたいじゃない!駄目になったらダメになった時ですよ。こればっかりはやってみないとわからないですからね。

ー本当にすごいです。でも、そのマインドは大事ですよね。

「これやっとけばよかった」という後悔はしたくないんです。従業員から「こういうことやってみたい」と言われた時も、絶対に否定しないですね。失敗したっていいじゃないですか。

ーそんなこと言ってくれる社長さんはなかなかいないです。でも、従業員さんが「こういうことをやってみたい」という声をあげられる会社の雰囲気、すごく素敵ですね。

では、これまで経営されていて一番嬉しかったことを教えてください

はい。いろいろあるんですけど…
ある時、地元の中学の美術部に、弊社の防火水槽の前にある壁に絵を書いてもらったことあがあったんですよ。その時に美術部にいた女の子が、高校を卒業した後に加山興業に入社してくれてね。いったんやめた子が再度で戻ってきてくれることもあるし、従業員のみんなから「加山でよかった」と言ってもらえるのは嬉しいです。

お客さんからも「加山さんがいてくれたからよかった」と言われるとすごく嬉しいし、やっぱり感謝されたり「ここを選んでよかった」と言ってもらえるって幸せですよね。
ラオスから特定技能実習生で来ていた子が、3年の実習を経て、国に帰った後にラオカヤマに入社してくれたこともあって、それはそれは嬉しかったですね。

前述の設立に携わってくれたラオス人の従業員はどちらかというと経営サイドなので、加山興業の現場を知っている子がラオカヤマに入ってくれたのは、とても意味のあることでした。

では逆に苦しかった時期はありますか?

苦しいという感覚を持たないようにしているんですよね。苦しいと思ったところで何も解決しないじゃない(笑)

素敵すぎます!!
では最後に、今後のビジョンについてお聞かせいただけますか?

はい。本業の産廃処理の分野については「やれないものはない」という状態にしたいですね。百貨店みたいに「なんでも処理できる」ゴミ屋さんになりたい。
一方で「加山さんってゴミ屋さんだよね?」と言われるくらい、ほかの事業にも手を広げていきたいと思っています。やりたいことはやりたいし「一つだめでも他がある」という状態にしたい。だってさ、プロ野球選手だって、3割くらいしかヒット打たないんだよ?(笑)
でも、常に一軍に居続けて、出場機会があり続ける必要はある。
魅力的な企業であり続けるための努力は、絶対に怠ることのないようにしていきたいですね。

ー加山社長、底抜けに明るく、前向きで元気をもらえるお話をありがとうございました!

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